代々木ではたらく

これからの働き方を考える

怒るべき時はいつか、

怒ることについて。

 

月曜日、東京は雨。今週一週間はお天気が悪いご様子。気温ががくっと下がって、このまま冬になってしまいそうな雰囲気だ。僕はまだ冬服どころか秋服も手に入れていない。寒い。そんななか、弊社の新卒で入社半年の子が体調を崩し、無断欠勤をしてしまった。連絡がきたのはその日の21時を過ぎていた。次の日、とても恐縮した様子で丁寧に謝りにきた。僕は「体調悪いときは気にせず休んでいいからね。無理しないで大丈夫だから。」それだけを伝えた。 

 

今日は僕が苦手な怒ることについて考えたい。

今夜もよろしくお願いします。

 

僕はもう怒らなくなっている。全然怒らない。たとえだれかに家を燃やされても、「あ〜燃やされるような事したし、仕方ないか」と思うか「あ〜燃やしちゃうような人と絡んじゃったからな、仕方ないか」と思うか「あ〜燃やしちゃうような人に家がバレたし、仕方ないか」と思うくらいだ。そういう状況に自分を置いてしまった時点で負けという感じ。怒りの感情なんて全然わいてこない。ヤバいやつが近くに湧いてしまった自分の未熟さを呪うだけだ。

 

マイナスを掘り下げている暇はない

会社内や、仕事上なんて家が燃やされることに比べたらとても平和なものだ。部下がミスしたとか、取引先が何かしでかしたとか。もう時間は戻らないし、物理的に取り返しがつかない。で、それにいちいち反応していたらキリがない。頭に血を上らせるためにエネルギーを使うなら、どうやってそれをリカバリーするかに使う方が生産的。そんなのは誰が見てもわかる。マイナスにツルハシを振り下ろしてさらに掘り下げて行くか、1つでもプラスに転じるよう策を練るか。自分で選ぶことができるのだから。どちらを選ぶか悩む必要もないだろう。

 

褒められて伸びるタイプ、怒られて伸びるタイプ

どちらのタイプなのか?よくそういう話になる。僕の結論から言えば、そんなタイプを分けて考える必要はないと思う。人間みんな褒められれば嬉しいし、怒られれば落ち込む。それだけじゃないの?褒められればその方向が間違いではないことを確信し、さらに進んでいく。怒られれば落ち込むし、反省もするかもしれないが、萎縮して自ら動こうとしなくなってしまうかもしれない。褒めるも怒るもどちらにせよ、自分で考えて動けるようにしむけなければ解決はない。もし怒るのであれば、感情をぶつけるのではなくヒントになることを伝えて、導いていくしかないのだと思う。

 

先の無断欠勤をしてしまった社員に対して、怒ることはない。十分反省していることが見えているからだ。次にどうするべきか自分で考え、行動できるのだから。それをさらに叩き思考を奪ってはいけない。そう思っている。

 

 

 

 最後にこっそり、僕が激怒したタイミングをお知らせしたい。

スマブラでCPU相手に理不尽な負け方をしたときだ。