代々木ではたらく

これからの働き方を考える

誰でもできる仕事、

誰でもできる仕事ってどんな仕事だろうか。簡単な仕事?資格がなくてもできる仕事?

 

東京は今日も雨降り、秋の長雨という言葉を聞いたことがある。せっかく湿気がすくない季節なのに、かんべんしてほしいよ。寒い。なんと今日は弊社の1部屋は暖房をつけているようだった。はやいなぁ。

今日はTwitterで少しにぎわった話題をとりあげたい。仕事についてのブログとしてはキャッチしておかなければ。それでは今夜もよろしくおねがいします。

 

誰でもできる仕事の定義

誰でもできる仕事とはどういうものだろうか?まずそれをガイドを決めないことには議論にならない。ここでは、健康であり、その仕事を希望し、目指せば誰でも就ける可能性がある仕事と定義したい。そして「忙しくて大変だから誰でもできるわけない」という理由は当然あてはまらない。「自分の仕事はやることいっぱいで、休めないし給料も安いです。だけど私はやってます、こんな仕事誰にでもできるわけありません」それはできるできないの問題ではない。忙しいというのは難易度とは関係がないし、それに「大変」というのは感情の尺度であり、人により変わってしまう。定義にはならない。

 

自分の仕事は誰でもできるか

僕の仕事は広告関連だが、資格も免許もなく、ただただ大変なだけだ。泣)そもそも世の中の仕組み化された給料の出る仕事というのは、だいたいが誰でもできる。だってもう誰かやってるんだから。本当にその人だけしかできない仕事なんてあるのだろうか?

基本的に会社というのは、そのシステム上ある特定の人しかできない業務をなくしていく方向で動く。再現性がないスーパーマンだったり、たまたまうまく行ったという幸運で経営するわけにはいかないからだ。歯車が出来上がって当然というか、規模がおおきくなればなるほど誰でもできるようにマニュアル化していく。誰でもできるわけでない仕事というのは自意識の中だけにある幻なのだ。

 

できなくしているのは誰か

では、なぜ誰でもできるわけではない仕事というものがあるのか?誰が「できない」と決めているのか。それは2つ要素がある気がする。

1つ目は、面倒なことをやらない理由に使われている。自分はアイドルや宇宙飛行士にはなれない。「自分にはとてもそんなこと(面倒なこと)出来ないから」なぜなら—努力したくないし、勉強したくない、失敗したくない。できそうなことだけやります。これをやれば親や先生に褒められるからやります。ただあきらめの材料にしているだけだ。自分は才能がないからできない?まだやったこともないのに?よく分かったね!すげぇ。

もう一つは自分のおごりだ。「自分はこんなに頑張っている」とても努力して今の地位を手に入れ、汗水たらして働いている、休みもない、責任も重い、こんな大変なこと誰にでもできるはずがない。自分の仕事から逃げない。逃げない自分ってすごい!大量の作業量を日々見ていると、大変なことに耐える自分を正当化せざるおえなくなってしまうのだろう。この思考はかなりヤバい。長時間労働に価値があるという考え方は本当の仕事の意味を見失う。こういう考えのやつが過労死を生んでいる。

 

自分にしかできないこと

考えるほど、自分にしかできないことなんてないんじゃないかと思えてくる。自分がいなくなっても、誰かが変わりにやる。でも、1つだけ自分にしかできない事があるとすれば、自分と相手との個人的なつながりかもしれない。彼のためなら、どんなオーダーも飲む。そいういう相手がいるだろうか?自分のオーダーを絶対に通してくれる人がいるだろうか?相手との繋がりを大切にする。それが自分にしかできない仕事かもしれない。