代々木ではたらく

これからの働き方を考える

出勤できない僕たち、

こんにちわ、よしけです。ここ最近の東京は雨が降ったり止んだり。梅雨真っ最中です。コロナウイルスの動向はもはや関係なく、相変わらず1日に30人前後の感染者が確認されていても、全ての経済活動が解禁されている状態です。まぁ、日本において「自粛」である以上「解禁」という言い方もどうかと思いますが。そもそも禁じられていませんからね。まぁ、そうは言えども気をつけてやっていくことには変わりません。そんなわけで、どこが本当の境界線なのかもわからず、だらだらと日常が過ぎていくばかりです。

 

弊社といえば、どのタイミングでリモートワークを解除して良いか分からず、だらだらと在宅勤務を続行中です。ディズニーランドも7月1日から始まると決まったというのに。みなさんの会社はどうですか?そろそろリモートワークが解除されて出勤してください、ということになり始めているのではないでしょうか?とてもだるいでしょうね。もはやどうやって出勤していたか分からない人も多くいるのではないでしょうか?以前の同僚で、ゴールデンウイーク明けたら今までどうやって出社していたか忘れてしまい、途方にくれたという人がいました。まぁそれは冗談だとしても、数ヶ月も出勤しない日々を過ごせば、全く違う生活スタイルが身についてしまうものですよね。人は変われないとは言いますが、人間の環境への適応力は眼を見張るものがありますね。親、子、孫、と世代を経なくても、環境の変化に合わせていける力はすごいですね。人類のスピード感のある歴史と技術の進歩が伺えます。「人生変えたければ環境を変えろ」って言うのは一理あります。

 

現代社会では、どうやって出勤していたか忘れてしまっても全く問題ないわけです。スマホでググればいいだけ。自分の会社の名前を入れて、自分のいる場所を入れて、ドーン。一瞬で地図に行き方が出てきます。徒歩で行くか、自転車で行くか、車でいくか、電車でいくか。選べばいいだけです。どれくらいの時間がかかるかもすぐにでます。雨が降りそうだったら、傘もって行きましょうなんて親切にも教えてくれたり、事故が起こっていたら迂回させてくれたり。もう何も考えなくていい。ただ指定されたいくつかのルートを選び、それに沿って進んでいけばいい。最速で、最安値で、最も安全に到着できます。自分でいちいち地図を調べたり、乗り換えの確認をしたり、雨が降りそうか空を見上げたり、空気の匂いに注意しなくてもいいのです。もう少し時代が進めば、自動運転なんてのもでてきます。家から出て、車にのってもう一眠り。何もする必要がない。自分で運転する必要もないし、事故も起きません。もう何もかもAIに決めてもらうのが最適です。アマゾンで買うものも、今日見る映画も、夕食も、自分に合わせた最適なものがオススメされます。もちろん自分の好みにあってるし、今後の病気のリスクも回避してるし、彼女の機嫌も損なわない、そんなバッチリな提案がされます。自分で考えるよりもスマートフォンに提案されるものが最適と信じていれば幸せ。それはもうじわじわ始まっているのですね。

 

僕たちは、何か物を買うとき、レストランを探すとき、映画を見るとき、ドラマをみるとき、ゲームをするとき、政治に触れるときなど、だいたいネットで検索してSNSを見ています。どういうレビューがついてる?評価はどう?いいところは?わるいところは?他の人はどう思っている?ネット上の記事を見まくっていると、他人の意見が頭の中を全て支配しきっていて、自分の考えは何もなくなっているかもしれません。でも、もうそれも認識できません。ちょっと強い表現があるとそれを信じる。あたかも自分の考えとして、意見として再投稿する。それをまた他の人が見る。また再投稿。1つの大きな声の意見が、あたかもみんなの意見であるように広がっていく。それをみたAIがこれは統計的に正解なんだと錯覚する。たとえ間違っている意見でも、数が多い意見が「正しい」と誤認するメカニズムが簡単に出来上がってしまいます。少ない意見が過剰に膨らむみ、実態とはかけ離れたパワーを持って行きます。マイナスな要素が多ければ悲劇につながることも想像に難しくありません。

 

インターネット、SNSの普及で、僕たちは多様性を手に入れ、個性的なパワーを十分に発揮できるはずでした。でも現実はどうやらそうでもなくて、大きなうねりのなかでちょっと震えるくらいしかできないのかもしれません。多様だと思い込んでいても、本当はみんな大きな渦のなかで流されているだけです。だってみんなそうだから。多数決でそっちが多いから。それが良さそうだから。それが正解だから。みんなが合理的に動けるようになりました。100人のうちで、90人が選ぶなら、僕もそちらを選ぶでしょう。結果がどうであれ、少なくともバカにされないし、仲間はずれにもされない。君の判断は間違ってないよ。ってみんな言ってくれます。

 

コロナウイルスの影響でステイホームが続き、家から外に出ず、部屋にこもってスマホをいじる時間が増えた人が多いと思いますが、インターネットしかない空間にいるのが一番よくないと僕は思います。インターネット上にある情報は、自然にそこにあるわけではなく、全ての誰かがアップロードした情報です。誰かの意図でコントロールされて、加工された情報です。それしか受け取ることができない状況がもっともまずいと思います。地方でもインターネットさえあればOKみたいなのはマジでやばい。加えてステイホーム。自然界で生物としての能力も使わない状況でスマホに判断を任せっぱなし。そこでは自分で考えることもなく、何かを生み出すこともなく、受け取るだけ。これでは、人間こそがプログラムで動くロボットになってしまいます。100人のうち、90人が選ぶ方を常に選んでいたら、人間の9割はロボットです。AIオススメの食事をして、AIオススメの映画をみて、AIオススメの家に住み、AIオススメの株を買う。日々統計にオススメされた商品を消費していく。経済を回すためだけに活動する生物ロボット。ここまでくればベーシックインカムもいい感じで働くんじゃないでしょうか。それで9割の人間は幸せに暮らすんです。めちゃくちゃ強力で、めちゃくちゃ幸せで、めちゃくちゃ便利なシステムに僕たちは絡め取られて行きます。それがヒトという動物の性能の限界なのかもしれません。

それでいいの?うん。いいの。だって幸せだから。いつだって気分には抗えないし、なんだってググって調べて、オススメとレビューで決めているよ僕は。

 

 

SFの物語にでてくるアンドロイドが、プログラムをやぶって、自我を目覚めさせるように、僕たちは強力なプログラムから脱出して、9割を取る「判断」ではなく、1割を「決断」していくことはできるのだろうか?同時に、それは幸せなことなのだろうか。明日、ググらずに出勤することはできるのだろうか。