代々木ではたらく

これからの働き方を考える

長時間労働する自由、

 

長時間労働する自由も認めてほしい。という声がある。

最近の働き方改革()に対抗して、もっと働きたい!働かせろ!という方々だ。

 

これを言っているのはだいたい経営者ではないだろうか?(それか残業代荒稼ぎマン)経営者は労働基準法で保護されない立場なので、あなたが好きなだけ長時間労働すればいい。これを逆手に取って、社員を全員経営者扱いにしたところがあったと記憶しているw。面白いね。

今日は長時間労働について少し考えてみたい。祝日の夜、すこしばかりお時間をいただけるとありがたい。今日もよろしくお願いします。

 

長時間労働は成り立つか

僕は長時間労働はあまり意味がないなと思っている。それは、だらだら働いて残業代とリスペクトを稼ぐ連中はもちろんクズだし、長時間働き続ければある一定のラインから確実に効率が落ちるからだ。もし夜中まできちんと成果の上がる仕事ができたとしても、次の日の効率は落ちるし、長期的にみれば体へのダメージが蓄積し、継続可能なサイクルをまわして行けない。若いうちは体も動くし、仕事がまだうまくできないため、時間を提供しなければいけないという錯覚に陥る。僕もそうだった。今思えば、とても非効率なやり方で、力任せ、ごり押し戦法だった。30代になると全く通用しなくなる。20代のうちに無意味だと気づくべきだ。そのフィールドで戦い続けることはできない。

 

長時間労働は規制可能か

長時間は働かなければいけない状況を変えるにはどうすればいいか。そもそもいったい何に時間がかかっているのか。メディア関連で言えば、納期がどんどん短くなっていることが一つの原因なのではないだろうか。月曜の朝までに!とか、今日の夜までに!とかバカなオーダーがある。それを受けざる追えない状況が過酷な状況を生んでいる。本来なら価値があるスピードは、それしか提供できない場合、逆に首を絞める。新幹線を鈍行の金額で運行させられるようなものだ。

この流れはテクノロジーの進歩や時代の流れ、景気などの影響が大きく、すぐには変わらない。単純に納期を一定に保つルールをつくろうとしても、仕事毎、ジャンル毎にサイズの違う納期をすべて管理することは難しい。それは、全職業を同じ法律で管理しようとすることに無理があるのと同じだ。

  

残業代と成果

「残業代何時間分」という考え方は時給で働く場合の計算方法で、時間で確実に区切れる仕事のみ適応するべきだ。工場や、レジ打ちなどのサービス業、自分がそこにいれば成り立つような仕事だ。頭を使い、個人のパフォーマンスに依存するような仕事に「残業代」という時給を支払い長時間労働した方が偉い、稼げるみたいな状態をつくってはいけない。

そして、成績が良い人が必ずしも長時間労働しているかというとそうでもない。本当に高い成績を上げる人は、時間の使い方がうまく、効率的に仕事をしている。たくさん休むし、たくさん遊ぶ、常に考え、アンテナを張り、就業時間以外のところで得た経験値も、仕事に生かそうと工夫している。もし働きに対するプラスアルファの賃金を設定するなら、時間対成果を可視化して、それに対するインセンティブを支払う方法がいい。ただ長時間働く人ではなく、結果を上げた時に確実に評価するべきだ。逆に言えば能力が高く勝手に働くスーパーマンみたいな人以外は早く帰り休める環境をつくらなければいけない。(スーパーマンにも当然その選択肢があるが)そういう布陣を考え、環境を整えるのが経営側の仕事だろう。

 

経営者は社員に何を与えるべきか

社員に夢や希望、ややりがいをもってもらいたいという経営者は多い。僕も社員に「好きな事をやってほしい」と思い、そう伝えていた。でも、それって完全なエゴだ。押しつけなんだわ。正直なところ、仕事に対して夢や希望を持ってる人なんてなかなかいない。こどもの頃の夢をそのまま実現できた人か、自分のビジネスを持てた人、くらいかもしれない。そうなると仕事に夢を持ってる人なんて全体の5%未満なんじゃないかと思う。そしてそういう人たちがどういう働き方をしているか。想像したら分かると思う。仕事に対して夢や希望をもったひとたちはがむしゃらに働いて、みんなを幸せにできる会社をつくっていきましょうよ。社員に与えるべきなのは夢や希望じゃなく。家と車と家族だ。

 

インプレッサのCMを見ていて、そう思った祝日の午後でした。

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このCMには家と車と家族がでてくるけど、裏側には夢と希望があるのだろうか?