代々木ではたらく

これからの働き方を考える

公務員年収800万で定年まで勤める地獄、

こんばんわ、よしけです。おひさしぶりです。今年ものこすところ後10日くらいですね。いよいよ終わりが見えてきました。泣いても笑っても2018年は終わってしまいます。止められない大きなものが迫ってくる感じ。人間は無力ですね。立ち尽くすしかありません。

 

専門学校卒の若手新人を初任給30万で雇ったのだけど、1年くらいで辞めてしまったということがありまして、それはそれは凹んでいたのです。そのことについていろいろと考えていたのですが、点と点がなんとなく繋がり始めたので色々と書いて整理したいと思います。

 

お金が余っているの?

初任給30万円出しても人が辞めてしまうっていったいどういうことなんだろうと思います。僕の会社も僕自身もとても未熟で「会社」っていうしっかりしたイメージとは程遠いものだったという部分もあります。こんなところにいたくないっていうのは少なからずあったでしょう。でも月給30万円がいきなり0になっても全く困らない状況っていうのはあまり想像できませんでした。僕は今30代半ばで、お給料は高ければ高いほどよいと考えています。でも、今の20代前半以下の若い人たちは、お金じゃないっていう人が多いいのかなと感じることが結構あります。「やりがいなんていらないから金と休みくれや」って言っていた世代からもう一つ世代が移動した感じがあります。「金いらないからやりがいくれや」って???どこのブラック???って思いますが、多分それも違うんですよね。やりがいともちょっとちがう。「金いらないから、充実させろ」「金いらないから、承認してくれ」「金いらないから、リスペクトしてくれ」そんな感じのもっとふわっとしたやつだと思うのです。多分僕はよくわかっていない感覚。わかりたいけど。理屈ではわかるけど。心底わかるようにはなれないかもしれません。もう老害です。僕は。

それってとても幸せで。お金はもう余っているんですよね。というか、欲しいものはお金で買わなくても手に入っているということでしょう。物質的には満たされているのですね。借りればいいし、だれかくれるし、安いのでいい、中古でいい。無料でも小額でも楽しめるものなんて山のようにあります。お金っていう数字の大小はあまり関係ない状況になってきているんだなーと思います。ほら、1年もすれば映画だってタダで観れますしね。シン・ゴジラ最高ですよと。ご飯だって安くてめっちゃおいしい。300円で満腹ですわ。

 

時間をお金で買うというアレ。

僕は時間をお金で買うということが大好きです。大好きでした。タクシー乗りまくり。ちょっとでも時間が短縮できるならお金バンバン使います。それでいいと思います。それでいいと思っていました。この世で一番大事なのは時間ですからね。時間は人間の命そのものだからです。少しでも多く、自分の時間をつくる。少しでも少ない時間で利益を生んだほうがいいわけです。本とかすごいですよね。他人が何ヶ月もかけて書いた本を数時間で頭に入れられるし、映画も同じでとてつもない時間が圧縮されています。ものすごいコスパです。それらが僕は大好物なのです。

最近僕はパソコンを買い換えようと思っていました。少しでも早いパソコンで、使いやすいアプリケーションで、最新の機材でまわりを固めれば、仕事が早く済む。それを考えていました。が、それ、本当に意味あるのでしょか?と手が止まりました。パワーにパワーを被せていくとどこまでもパワーの戦いになっていきます。どこまでパワーを求めてもさらにパワーを求めていきます。きりがない。さっきのお金の話も同じで、金はいくらあっても金でしかありません。稼いでも稼いでも上には上がいて、きりがない。実は不毛な戦いだってことだと思うのです。(ある程度のところでうまくやるっていう頭の使い方が必要なんじゃないかなーと思います。)

 

コスパが良ければなんでもいい病気。

うまく表現できませんが。なんというか。その上限のない戦いみたいなのを一生やっていくんでしょうか?僕たちは。きりがない戦いにうまく乗せられて消耗していくのでしょうか?僕たちは。なにか、いつのまにか目的を見失い。目標だけを追い求め、目標だけをクリアし続ける無限のループにはまっているような気がしています。本当は何がしたいの?走ることは目的じゃないよね。

デパートのバーゲンセールに群がるおばちゃんとか軽蔑しているじゃないですか。安いからっていう理由だけでいらないものを買っていく。それめっちゃ損じゃないですか。実はそれと同じ構造ですよね。コスパがよければいらないものも買う。みたいな。時間が買えるなら無限に買う。買った時間をどんなクソみたいなことに費やしてるか自分でもわからないのに笑。買った時間でだらだら夜更かししたりしてるんですよ。まったく。

 

お金でも時間でも手に入らないもの。

今まではお金や時間を使ってその数字の大小を価値に変換していたのですが。もうそういう数字が価値を持つ世界ではなくなってきているんだなーと感じている今日この頃です。パワープレイの時代は終わったのですね。

じゃぁいったい何がいま価値があるんでしょうかね。気になります。若い世代に言わせれば「いいね」ということなのかもしれません。で、その「いいね」っていうのは金じゃないわけです。「昨日飲み屋で200万使ったわー」っていうおっさんは全然良くないし、高い車乗っててもモテません。ブランドものを自慢しても全くいいと思えない。大画面TVいらない。金使いまくる人とか本当にダサい、肩書きダサい。権力ダサい。そんなわけで、お金はそれほどいらないし、時間も実は無駄に浪費してる。そういう数の値じゃなく、個人レベルの性格とか特徴とか面白さ、だれと友達でいるか、だれと一緒にいるか、どこにいるか、なにをするか、それらが自由であるかに重きを置いている。今まではお金や時間が媒介していたものが直接扱えるようになっているのが今なのかもしれません。今の若手は何が自分にとってちょうどいいか、よく分かっている人が多いなーと感じています。お金で買えないものこそが価値を持っているんですね。

 

そりゃ初任給30万でも嫌な場所にはいたくないわなー。公務員年収800万で定年まで勤めるなんて地獄としか思えないのですよ。ちなみに僕の父は完全にそれです。あー、、否定するハメになっちまった。申し訳ない。