代々木ではたらく

これからの働き方を考える

根拠のない自信の正体、

自信なんて根拠がなくていい。という話を聞いた。

なんじゃそりゃ?根拠が無い状態でどうやって自信がつくのか?自分をだましたり、暗示をかけるのだろうか?雲をつかむような話だ。とても胡散臭い。なんなんだよそれ。

 

若いうちは謎の自信(体力なのかな?)があったり、やってやりますよ!みたいなガッツがある。そういう話?僕は最近そんな気持ちがバンバン減退していってるのだが、それに逆らうように少しでも自信を持てるように試行錯誤してみている。自信をつけるには地道に努力したり実績をつくったり、とにかく時間がかかってしまう。

もちろん根拠があるに越したことはない。それができればそれでいい。今回は何もないところから、どうやってぶちあげていくかということを考えていきたい。根拠のない自信をつかみたい。今夜もクソ記事をどうかひとつよろしくお願いします。

 

自信に根拠は必要?

なぜ自信に根拠がなくていいのか。根拠がなくていいのではなく、必ずしも必要がないということではないだろうか。ほとんどの他人は「根拠」の部分ではなく、表面的な見た目や、態度を感じ取っているだけにすぎない。いきなり初対面で学歴ガー、実績ガーなどという話にもならないだろう。まずは雰囲気からということが多いはずだ。実のところ、「自信」と「根拠」はそれほど結びつきが強くないのかもしれない。

 

根拠の無い自信をもつには

無意味な事を繰り返すだけでいい。

 

謎のエネルギーを蓄積する

他人から見たら、全然価値がないことでも、続けて行くうちに自分の中だけに、自信が生まれていく。「これを無限にやり続けているやつは他にいないだろう」という。それ自体に何の効果や成果も関係ない。「単純に1つのことを繰り返している」という事実だけが気持ちを強化していくのだ。継続は力なり。という言葉もあるように、継続していると、不思議な高揚感がある。例えば、毎日朝家を出るときに右足から歩き出す。これを2〜3年つづけてみたらどうだろうか。ある日ふと左足から出てしまった時の絶望感は半端ないと思う。その謎のエネルギーが根拠の無い自信の正体なのではないだろうかと思う。それが、前向きに進めるかどうかを左右するとしたら?利用しない手はない。

 

根拠のない自信の後に

1つ注意しなければいけないことがある。根拠のない自信をもつことは、表面的な見え方でしかないということだ。確かに一時的には効果的だと思う。しかし諸刃の剣のようなもので、本当に根拠を求められたとき簡単に崩壊してしまう。毎日右足から歩き出しただけでニヤニヤしているのがバレたらおしまいだ。見た目や態度は偽装できても中身までは変えられない。外面を変えることに成功したら、それだけで満足してはいけない。取り繕った外面に合わせ、内面を一気に引き上げていかなければならない。その環境をつくるために、根拠のない自信を利用できる程度なのだ。ちょっといいレストランに入るためのジャケットくらいの効果と思った方がいい。そのあとどう振る舞い、クロージングに持って行くかはまた別のお話。また継続に継続を重ね、試行錯誤をしながら中身を磨いていくしかない。