代々木ではたらく

これからの働き方を考える

変化するためには、

時代が変わって行く。その過程を僕たちは見ている。

そんなこと、なかなか信じられない。変わってるよ!本当に?。なぜかって、僕たちはもうこの世でたくさん生きてしまったのにもかかわらず、心はずっと中学生か高校生のときのままだから。世界が変わってしまったなんて信じられない。みているものはずっと一緒だったじゃないか。

 

でも、15年前くらい前のTVCM見るとすごく切なくなるよ。

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本当に変わってしまったのかも。 

 

いつから変われなくなるか

風の噂で、40歳くらいから人は変われなくなるという話を聞いた。40歳と言えばいくつかの山を越えて少しだけ落ち着く頃なのだろうか。爆発的に変化するこども時代。学生時代はたくさんの知識や経験を得る。就職して新しい世界に行く。結婚してふたりの生活、出産して自分のこどもができる。だいたいの大きなイベントを終えている。それらを乗り越えただけの経験値を得て、だいたいの事を知って。もういろいろやったよね、もういいよね。って感じなんだろうか。ちょうど40歳くらいはそういうタイミングになる人が多いってだけだと思うけど。確かに遺伝子を引き継ぐというミッションは達成している。これ以上変化の必要もない。引き継いだ次の世代がまた変化の旅をしていけばいいのかもしれない。

 

変わる必要あるのか、

もう変わる必要ない。なんでそんな変化しないことがダメみたいな風潮なんだろうか。だいたいのことを経験して、自分なりの考えを持って日々暮らす。なにも問題ない。仕事とか人間関係でぶつかっても、自分の方が正しいと証明できければそれでいいじゃないか。今まで培って来たものはそんなに簡単に破れない。たくさんの経験と失敗に裏付けされているのだから。ぱっと出のやつの意見なんて聞かなくていい。それに、自分の思考や意見をもっているだけでもとても貴重なんだよ。

 

気づいたら変われなくなってる

いつのまにか、そんなふうになってしまっている。それに気づくこともできない。なぜなら自分は柔軟で、他人の意見を受け入れてきた。今でもそうだ。新しい考えや物事を受け入れている。そう思ったまま定位置に浮かんでいる。分かっていてもできない。その外郭をさらに外郭が覆ってしまっているのを観察できなくなってしまっている。見えているものが世界の全てなのだ。

変われなくなったらどうなるのか。今まで手に入れたもの全てを持って歩いているようなものだ。必要なもの、いらないもの、たくさんのもちものを選別せず抱えている。当然フットワークは重くなるし、新しいものを拾う事もできない。よりよいものに交換することもない。大荷物のままでは、いずれ身動きがとれなくなってしまう。

 

 

いれものの自分

僕たちはいつでも変化していきたい。厳しい環境の変化に合わせ、時代とともに変化できたものが生き残る。決して強いものが残るのではない。そんなこと知ってる。大企業が終わりを迎えていくなかで小さくてもフットワークが軽く、変化できる会社が現れてきている。時代に合わせ、波に乗って行くような。もちろん小さい船はすぐに転覆したりするんだけど、小さいからまたつくり直して違う形で浮かび上がってきたりする。やわらかく、しなやかに、臨機応変につくり変えて行く。僕の会社もそんなイカダみたいな会社を目指している。そんなすぐに転覆する気はないけど。

企業だけではなく、個人もそう。夜寝れば、朝スッキリ目覚めて新しいことができる。大きな荷物を抱え続けて歩いて行くのもいいけど、昨日のことは忘れてもいいんじゃないの?

意図的に荷物をおろすと、もう少し遠くまで足を伸ばせるかもしれない。